ついに来ました、ポンペイです。私がイタリアで最も行きたかった場所がローマです。そして、そのローマに勝るとも劣らないくらい訪れたいと切望していた土地がポンペイでした。 ローマは遺跡でコロッセウムやコンスタンス・ティヌス帝の凱旋門、それからローマの建国の聖地パラティーノの丘など私にとって夢のような場所ばかりでした。 ローマは歴史の表舞台に登場した偉大な人々の昔の様子を知らせてくれます。 しかし、残念なことに当時の庶民や当時の生活といえば、どうなっていたのかを知ることは大変難しいのです。 ところが、その当時の生活をまるでタイムカプセルを開くかのように目の当たりにすることが出来る場所があるのです。 それが、ポンペイなのです。 ポンペイが最も栄えていたのはなんとあのコロッセオが作られるよりも前のことなのです。 ポンペイのそばのヴェスビオ火山が紀元79年8月24日に爆発したのです。 山の周辺ほぼ全域へ溶岩が流れ出しました。 3日間この爆発は続きました。 溶岩はポンペイまでは流れなかったのですが、そのかわり少し離れたポンペイには大量の火山灰が降ってきたのです。 あまりにも突然に起きたこの大惨事にこの地域の住民は驚き慌てて避難しようとする途中に死んでいったのでした。 ポンペイは高さ6メートル以上の火山灰層の下に埋もれ、この悲劇の瞬間の町の暮らしぶりをそっくり閉じ込めたのでした。 そして、人々のポンペイの街のことを忘れ去られたまま長い年月が過ぎました。 ところが、建築家ドメニコが運河の発掘を行った作業中に偶然発見されたのでした。 今から約200年前のことです。 今では伝説の街となったポンペイのが奇跡的に再び世に姿を現したのです。 ポンペイの街は私が行く前に想像していたよりもはるかに広く、はるかに文明の進んだ素晴らしい街でした。 街は、碁盤の目のように街路に劇場や邸宅やいろいろなお店があるのです。 道には馬車が通るための轍が残っています。 なんとその轍の巾は、現在の鉄道の世界基準になっているのです。 もちろん、日本の新幹線の巾もこれと全く同じなのです。 ここは、広大なフォーロ(公共)広場です。 ローマ時代には町の宗教・市民・経済活動の中心地であったポンペイのフォーロの列柱の一部が残っているのです。 フォーロの北側は古代のジュピター神殿またはカピトリウムで締められています。 これは、町の宗教建築物として最大のものでした。 ヴェスパシアヌス神殿の中央に建つ祭壇(生け贄台)は両面に美しいレリーフが施されています。 生け贄となっているのは追うしで現役皇帝を讃える儀式にちなんだものだと思われるそうです。 皇帝初期は、皇帝が神格化されたのではなく、皇帝の「守護神」が第一に崇めら得るものとして神格化していたのだそうです。 ポンペイのフォーロ(公共)浴場はものすごく素晴らしいのです。 男性はお風呂に入る前にエクササイズルームで体を鍛え汗を流すのです。 そして、温泉に入ります。 また、男性は筋肉を強く堅くするために冷水場もあったようです。 サウナもありました。 しかも、今のサウナよりも進んでいるのではと思われるような素晴らしいサウナなのです。 サウナは床暖房、壁暖房なのです。 天上には水滴が流れやすいように溝が入っていて水滴はぽたぽた落ちずにその溝に沿って流れ落ちてくるように設計されています。 サウナの中には素晴らしい噴水もあるのです。 ミストのサウナにもなりますし、サウナで火照った体をこの噴水が気持ちよく冷ましてもくれます。 噴水にはこれを贈った人の名が刻まれていました。 ラテン語ですが、アルファベットがちゃんと使われていたことが覗えます。 壁の柄も本当に美しい。 隣にはマッサージルームもあり、至れり尽くせりです。 お風呂とサウナでのんびりしたら次は居酒屋へ行くのです。 ポンペイの街にはいろいろなお店がありました。 魚屋さん、肉屋さん、八百屋さん。 魚や肉の骨からちゃんと分かるのだそうです。 そして、壁画からそのようなお店の詳しい様子も覗えます。 街には大きなお屋敷がたくさんあり、玄関先には美しいモザイクが施されています。 これは悲劇の詩人の家です。 玄関席に“猛犬注意”(CAVE CANEM)の文字と犬のモザイク画が残っていました。 現在のポンペイには番犬ではなく野良犬が結構いました。 でも、その野良犬は別にほえたり人を襲ったりせずに、観光客と一緒にゆうゆうと歩いているのがちょっとおかしかったです。 お屋敷の中は大きく広く美しいものでした。 たくさんの個室があり、一人一人のプライバシーが守られていたのも驚きです。 屋敷を出て、ピザ屋さんへ行きました。 ピザを焼く窯はさっきランチを食べに入ったレストランの窯と全く同じではありませんか。 2000年以上前の窯と全く同じものを今のイタリア人も大切に使い続けているのですね。 窯の前にあるのは、小麦を挽く臼です。 真ん中辺りに棒を突っ込んで臼全体を回していたのだそうです。 最後に、ポンペイの埋葬物を集めたところへ連れて行ってもらいました。 たくさんの素晴らしい壺や生活用品がありました。 実はその横に、火山が爆発して灰が積もった時に逃げ遅れた人々が灰の下敷きになり、骨になってしまったあとの空洞に石灰を流し込み、その人型を取ったものがありました。 空洞に流し込んだ石灰が固まり、逃げおくれた人々がどのような様子だったかを知らせてくれる貴重な資料です。 しかし、私はどうしても写真を向けることが出来ませんでした。 ただただ、手を合わせ冥福を祈ったのでした。 多くの人々の幸せな一瞬を封じ込めたようなポンペイの街。 ちょっと切ない気もしましたが、今の私たちに残してくれた大切な遺産であり、大切な資料でもあります。 その人たちの気持ちに報いるように、当時の人々の生活を知り、思いを感じ取りたいと思います。 今、私たちが生きているのは大昔の人々の英知の賜物です。 人類はみな何処かで繋がっているものです。 そういう人々の思いや、智恵を大切に引き継ぎ感謝の気持ちを込めて世界中の平和を願いたいと思いました。 ジャンル別一覧
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